民間主導のお手本、丸亀町商店街は他のまちづくり、再開発と何が違う? 

観光・まちづくり

香川県の県庁所在地、高松市の推計人口は最新(2023年3月)で約41万3000人。四国の県庁所在地では松山市(約50万人)に次ぐもので、古くから本州と四国を繋ぐ玄関口になっていました。

JR高松駅すぐ北側の高松港

かくいう僕も両親の故郷が高知だったので、昔はよく、東京から新幹線で岡山。在来線で宇野に行き、宇高連絡船で高松。そして中村行きの特急に乗るという行程で、高松といえば船と列車の乗り換え場所という印象が強かったです。

そうそう、宇高連絡船では「うどん」を食べることが楽しみで、航路がなくなった後も高松に行くと、懐かしさでJR高松駅内にあったお店を何度が訪ねていました。

■ピーク時に危機感を持った先見の明
そんな高松の中心商業地のひとつ、丸亀町商店街は、1588年の高松城築城の際に周辺から商人を集めたことで始まり、本州と四国を結ぶ交通の要衝として長年の間、高い人気を誇ってきました。バブル真っ盛りの1988年には商店街で丸亀町開町400年祭を開くなどして、この頃の通行量が歴史上のピークだったとも伝えられています。

ところが、当時の商店街振興組合の理事長は、それに浮かれることなく、次の100年を見据えた改革が必要だと組合員に訴えたといいます。背景にあったのは、全国各地の商店街が次第に衰退してきていた現実です。それは調べれば調べるほど、自分たちの商店街の未来そのままで、生き残りをかけて今から何かしないといけないと動き出したのでした。

丸亀町商店街内壱番街前ドーム 提供:(公社)香川県観光協会

■議会の承認を待たずに動ける体制づくり
まず手掛けたのは商店街の北側にあるA街区でした。ここはJR高松駅や琴電琴平線片町駅から近いうえ、高松三越があり、最も注目されているエリアです。組合はまず、ここの地権者27人を説き伏せ、再開発を手掛ける第三セクターの「まちづくり会社」を設立しました。

第三セクターということは、市も出資する共同事業体のため、再開発ではよく見かける手法です。しかし、組合は通常の方法はとらず、市からの出資比率をわずか5%に抑えることで、民間主導で動ける体制をまず作ったのです。

もっと市から出資してもらった方が負担も少ないのに、あえてそうしたのは、「速やかな意思決定」を重視したためです。要するに「市(議会)の承認など待たずに即動ける体制」を作ったわけです。

この意味がおわかりでしょうか? 要するに「議会の承認を待ちながらのまちづくりなど、うまく進まない」からです。もっとハッキリ言えば、まちづくりは長期にわたるのに、4年に1回選挙のある人たち(議員)が承認権を持つと、継続した事業ができないという意味です。

仮にうまく進んでいても、次の選挙でまちづくりの趣旨に賛同した議員が落ちれば、次に上がってくるのは対立候補なので、計画はだいたい破綻してしまうわけで、これまでにも同じことで計画がとん挫したまちづくり計画がたくさんありました。

■商店街+病院や介護施設+住居
計画を進めるため、27人の地権者が全員で議論することは避け、わずか3人の委員に絞り、そこに都市計画や商業の専門家たちからの助言を得る体制も整えました。そこで議論した結果、60年の定期借地権を使った再開発事業で、地権者は土地の所有権を持ちつつ、利用権だけ60年間放棄。白紙にしたまちの上に必要と思われる業種や施設を吟味し整え、その上層階に住宅を整備するものでした。

これは市街地ライフインフラの再生であり、全ての再開発ビルの上層階に住居を乗せ、最終的に人口2万人の街を作るというものです。また、そこに住む住人は高齢者や障害者などの弱者を想定し、下層階のテナントには商店の他、介護施設や病院、健康管理のためのトレーニングルームやレストランも完備しています。

こうすることで住人は下に降りればすぐに必要なものが揃いますし、地方の「車がなければ身動き取れない」といった問題にも対応できるわけです。おかげで、商店街内で売り出されたマンションは高い人気を誇るようになりました。

■歩きやすい商店街
商店街を実際に歩いてみると、平日の昼間は少し人が少なめだと思いましたが、土日などはほどほどに賑わいがあります。他の地方の商店街と違い、広々としていて、歩きやすさを重視している点に感心しました。

地方の商店街再生やまちづくりは、行政が大都市にある企画会社に丸投げしたものや、首長の強いリーダーシップで進めたものが少なくありません。それはそれで注目を集め、宣伝効果もあってメディアが好意的に取り上げる事例も多いわけですが、実際に訪ねると平日の昼間など誰も歩いていないケースも多々あります。

これがあの話題となった場所なの? と拍子抜けすることが多い中、丸亀町商店街は次に何が始まるのか、楽しみな場所であると思えました。気になる点をあげるとすれば、南北に延びる導線は良いのですが、東西に交差する他の商店街はまだ寂しい感じが残っている点でしょうか。どこまで効果が波及するかが鍵になると思います。

写真は2007年、2019年に撮影。

全日本不動産協会「月刊不動産」2019年3月号取材時 協力:住宅新報

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