日本最西端の島は台湾に行くより遠かった。僕が与那国島で感じたこと

観光・まちづくり

与那国島を知っていますか?

僕が初めてこの島に行ったのは、2008年のこと。もちろん仕事です。JAL(JTA)が羽田から与那国をうまい具合に乗り継ぐ便を飛ばしてまして、こんなスケジュールになりました。

羽田→NU0071・3時間10分→石垣
乗り継ぎ待ち45分 一旦降機後、同じ飛行機に搭乗
石垣→NU0961・25分→与那国

■台湾に行くより時間がかかる
羽田から与那国までの距離は1228+77=1305マイル(約2000㎞)。羽田から台北(桃園)までの国際線が1330マイルなので、ほぼ一緒。地図を見ても、与那国島と台湾は110㎞くらいしか離れていないことからも、距離感はわかってもらえると思います。

この時は早朝6時過ぎに羽田を出発、与那国に到着したのが11時すぎ。所要時間は約4時間でした。一方の台北線は直行で3時間30分なので、台湾に行くより時間がかかるわけです。

参考までに、現在の羽田から与那国への乗り継ぎ便は、午前中のうちに移動することが難しいらしく、那覇乗り継ぎだと所要時間は約5時間で、与那国到着が13時45分。石垣乗り継ぎだと約4時間の所要時間ですが、到着時刻は18時20分になってしまいます。

■石垣空港ならではの出来事
もう少し飛行機のことを書くと、この時に乗ったのはボーイング737-400という機種で、クラスJ設定なし。機内の通路は1本、左右に3人掛けシートが並ぶちょっと狭い機内なので、足元の広さを求め最前列に座っていました。

おかげでこのタイプの飛行機にしては足を組むことができ、飛行中は快適。でも、石垣空港に着陸した途端、かなり強いブレーキがかかり、後方から大量の機内誌が足元に押し寄せてくるハプニングが。

羽田出発の際、機内誌やイヤホンがシート座面に置かれた状態だったこと。当時の石垣空港は滑走路が短く急制動が必要だったため、機内誌が空席の座面からこぼれ落ちたのが原因でした。ゲートに到着後、CAさんが慌てて回収していました。

■小さな島だからレンタカーもゆるゆる
与那国空港は滑走路が海に面していて、高い建物がない分、敷地だけはとても広く感じます。建物はさすがに小さく、ロビーはバスの待合室みたい。島の空港に来たなというのんびり感がありました。

島ならではの緩さを感じたのは、僕を迎えに来ていたレンタカー会社のおっちゃんのひと言でした。名前を書いた紙を持って待っていたので声をかけると、いきなりこう言われたのです。

「ナンバー〇〇〇の車が駐車場にあるから、それに乗って先に事務所に行ってて。キーは付いているから」

面食らいました。盗難なんて想定してないみたいです。しかも、タイヤは4輪とも丸坊主に近い状態。空港から少し離れると道のあちこちに牛や馬のウ〇コが落ちていたりして…。おそるべし、離島の日常。

■車がないと生活しづらい
到着後は町の保健師さんに名所案内をしていただきました。まずは日本最西端の地、西崎(いりざき)です。久部良(くぶら)港を見下ろす岬には、最西端の碑や展望台があります。

久部良の集落では、「ユキさんち」というお店に案内され、本格的なカレーをいただきました。その時、

「ここのカレーはおいしいですよ。それから、ぜひトイレも見に行ってください」

というので確認したら、あらまっ。小便器と和式便器が広い部屋に共存している造りで、なんだか落ち着かない感じ。観光客にウケている場所だそうです。
*ユキさんちは2015年頃、閉店したようです。

■海塩と与那国馬
島の南側にある比川浜では、テレビドラマのDr.コトー診療所のロケで使われた建物を見学。

自然塩にこだわっっている与那国海塩さんでは塩の話はもちろん、後日再び訪ね、島の保健行政への忌憚なき意見を聞かせてもらいました。それはとても的確かつスルドイ意見で、誌面には書けなかったけれど、僕の中ではとても貴重な話でした。

比川浜には与那国馬と間近に触れ合える牧場もありました。島の東側、東崎(あがりざき)付近の海沿いで放牧されている姿を遠目にしたときは気づかなかった、馬たちの優しい目がとても可愛らしく、癒しのパワーが凄かったです。

馬は基本的に優しい動物で、初対面の人を試す傾向が強いけれど、与那国馬は無条件の優しさが感じられました。ある程度飼い慣らされていたからなのかわかりませんが、別の取材で接したホースセラピーの馬たちは、まず相手の値踏みすることから始まるので、明らかに違いました。

■観光や移住、公衆衛生の観点から見た与那国島
久部良港にはカジキのモニュメントが飾られています。漁での水揚げがあるほか、カジキ釣りの大会が開かれるほど有名です。海という点ではハンマーヘッドシャークを見ることができる西崎や、南側の遺跡ポイントは、ダイビングをする人を呼び込めます。僕が泊まった宿も、ダイビング客の多いところでした。

移住は、なかなか難しいと思います。食料など定期的に運ばれてくる保証はなく、医療も整っていません。重い病気になれば石垣や那覇に行くしかありません。僕が滞在中に見かけた若者といえば町の職員か宿のスタッフくらい。その中に地元育ちの人はいませんし…。

与那国町役場

町の保健師も毎年のように募集しているわけで、これは他の僻地・離島がそうであるように、情熱と理想に燃えた若い人たちに頼っている現実があります。でも、せっかく飛び込んでも島の常識という壁にぶつかり、精神的に耐えられなくなる……。

僕が訪ねた時と今の大きな違いは、2016年に自衛隊が配備され約160人が駐留。その家族も合わせると250人となり、その他の流入も含めると、この年に転入してきた人は381人と、例年よりかなり多かったようです。けれど、翌年から転入・転出の数が増えていて、これをどう読み解くか。皆さんはどう考えますか?

与那国町人口動態 与那国町役場HPより引用
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