沖縄の食文化の変遷を知れば、平均寿命の推移が納得できる

風土風習

沖縄は1980年代に日本一の長寿県で注目されていました。それが1990年頃から男性の平均寿命がランクを下げ始め、2022年発表のデータ(2020年分)には47都道府県中女性16位、男性43位にまで落ちています。なぜここまで急激だったのでしょう。その理由を探ろうと、さまざまな調査が行われてきました。

■アメリカ統治で激変した食の環境
注目すべきはやはり食文化です。その歴史を深掘りした資料を読むと、昔の沖縄が質素な食事をしていたのに、戦後、アメリカの食文化が一気に流入し、庶民の生活が大きく変わったことが指摘されています。

たとえば、琉球王国時代(本土の江戸時代)後期から明治、大正にかけての沖縄の主食といえば芋が主食。それを野菜を味噌味で煮込む「ンプシー」と汁物が定番の食でした。それが戦後から1972年までアメリカの統治下におかれたことで環境が激変。

さらに、ベトナム戦争をピークにアメリカ兵相手の商売が流行り、カフェやハンバーガーショップが増え、地元の人々もそれを早くから利用するようになったといいます。

そのいい例が、銀座にマクドナルドの1号店ができる前から、沖縄にはハンバーガーショップがあったという事実。流行に敏感な若者たちを中心に、影響を受ける人々が多数いたことは当然のことでしょう。吞んだ後、シメにステーキを食べるという信じられない行動も、沖縄ならでは。

■宴席が日常茶飯事、終電もない
沖縄のお酒といえば、泡盛。最近は選択肢が増えてきたものの、大勢で集まるなら泡盛になります。蒸留酒なので糖質はありません。けれど、飲む量が非常に多いことも影響しています。

2003年にゆいレールが開通したとはいえ、那覇市のごく一部の話で、基本的に沖縄に「終電」という概念がありません。タクシーや運転代行が発達しているうえ、どの居酒屋も長時間営業がウリ。ハシゴするのが当たり前の土地柄なので、飲酒量はかなり多く、肝臓に良いわけないですよね。

それに、沖縄には様々な仲間内で互助組織的な「模合」というグループを作り、ひとりで複数入っていることも珍しくなく、その会合で飲み会になることもしょっちゅう……。

■自転車? 持っていませんよ
運動に目を向けると、これもなかなか手ごわいものがありまして、沖縄の土地はあまり平坦ではなく、歩いて出かけることは滅多にありません。近所に行くのもマイカーかタクシーが基本。

ホテルでフロントに道を聞いたことがある方なら経験あるでしょうが、歩いて5分くらいの場所でも「タクシーで」と案内されてしまうほど。本土の人にとって、歩ける距離の尺度が大幅に違うのです。

もちろん夏は日差しが強いし、暑いので運動したくないのは理解できます。けれど、冬はせいぜい15度くらいなので、運動には適していると思うのですが、「寒くて運動できない」と拒否されます。これも沖縄あるあるでしょう。ちなみに、自転車の所有率も劇的に低いです。

■料理は油たっぷり。それがウマイし日持ちする
基本的に今の沖縄料理は、油たっぷりの調理法が一般的です。なぜなら、蒸し暑い気候なので、大量の油を使って調理しないと傷みやすい。そんな理由から、どんどん消費量が増え、調査した家庭の中には、家族4人分のチャンプルーを作る時の炒め油がお玉1杯分使っていた例もあったほど。

揚げ物の多さも悩ましく、学校帰りの買い食いといえば「天ぷら」。これは本土のそれとは違う、フリッター。おやつとしてパクパク食べてしまいます。お弁当屋さんのおかずも、どっさり揚げ物満載。サンマも塩焼きじゃなくて揚げるのが沖縄流なのです。

チャンプルーなどの炒め物は通常の油のほか、シーチキンやポーク(ランチョンミート)、ビーフハッシュの缶詰を必ず使うので、そちらのコレステロールやプリン体の影響も悩ましいわけです。

後日、そんな沖縄のスーパーマーケットで見たリアルな食文化もご紹介する予定です。お楽しみに。

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