久しぶりに訪ねたのは、北海道二海郡八雲町。この町に仕事があって来たわけだけど、本当はとても会いたい人たちがこの町にいたから、仕事を作ったといっても過言ではなかった。
函館空港からレンタカーで1時間ほど。町に入ると、まずは噴火湾パノラマパークから見える、白樺並木と海のコントラストで逸る気持ちを落ち着かせた。あ、そういえば、13年前(秋)もここで写真撮ったっけ。すぅーっと記憶がよみがえった。
そして、意を決して向かったのが八雲駅にほど近い、食事処の伊勢屋さんだった。
あれ、こんな店だったかな?
グーグルマップのストリートビューで確認はしていたものの、建物の前でしばし考え込んでしまった。13年前にたった一度だけ、それも夜に訪れたのだから、昼に見るイメージとは違うのは当然として、あまり懐かしさを感じなかったのだ。夜の顔と昼の顔は違うからか?
それでも、いつかまた来たいと思い、ようやく実現した今、引き返す選択肢などなかった。
ちょうどランチタイム。中に入るとテーブル席と小上がりはほどほどに埋まっている。13年前に座ったカウンター席は空いていた。迷わずその一番奥に腰を下ろし、メニューと店内を交互に見比べていると、料理をテーブル席に運ぶ女性の姿が目に入った。女将さんだ。変わってないや。記憶の中にある面影がそのまま残っていたことが嬉しかった。
店はほどほどに忙しそうだ。事前に調べたネットの情報では、ここ数年、丼ものが人気のようで、他のお客さんたちもそれを注文していた。よし、ここまで来たら、まず食べよう。話は店が空いてからがいいだろう。カウンターの中に戻ってきた女将さんに、余計な話をするでもなく注文をした。
やがて運ばれて来たのは、にしんそば。少し濃いめのつゆ。甘すぎず、ほどよく弾力のあるにしん。細めのそば。するすると口に入っていく。
■出会い
幸せな気分に浸りながら、13年前のことを思い出していた。
2007年、函館から内浦湾をぐるりと車で回りながら、田舎暮らしの実践者を取材していた。JR函館本線八雲駅近くのビジネスホテルにチェックインすると、すでに時間は18時を過ぎていた。この日は朝、函館に着き、市内を駆け足で取材していたので、昼もあまり食べていなかった。
腹へった…。酒も飲みたいな。
周囲はすでに暗くなり、駅前といえども食事のできる店がどこにあるか検討もつかない。ホテルのフロントに相談すると、勧められたのが道路の反対側にある伊勢屋さんだった。
19時すぎだったか。入店すると数名のお客がいるくらい。カウンター席に座りビールを頼むと、付け出しにわさび菜の漬物が添えられた。町の定食屋のようだけど、ちゃんと飲み客のための準備もしてあることが嬉しかった。
ならばと、刺身がないか聞くと、Tシャツ姿の主人はイカ、エビ、ウニ、ホタテ、マグロを少量ずつ、美しく盛ってくれた。すべて地物。さすが北海道。どれも個性豊かでうまかった。
そのうち、他の客も帰ってしまうと、奥から女将さんも出てきて、自然と会話が始まった。「どちらから?」から始まり、「お仕事で?」みたいな、旅先でよくある会話だった。
通常はその辺で終わるのが常だろう。
けれど、お二人の人柄なのだろう。居心地がよく、さらに会話が進み、取材でこの地に来たことを話すと、珍しがられ、どんなものに書いているのか聞かれた。聞かれれば素直に答えるのが僕なので、ある週刊誌の名を告げると、主人は何となく理解してくれた。女将さんはイマイチ理解できなかったはず。そりゃそうだ、その週刊誌は完全に男性向けですからね。
もうちょっと万人向けの媒体の名も出さないと、怪しい奴と思われそうなので(爆)、連載を担当していた全国版夕刊紙の名も挙げた。すると主人、すかさず
「それ、毎日取っているよ!」
奥から数部持ってくるではないか。意外な展開だった。
しかも、持ってきた中に僕が連載を担当している曜日があり、顔写真入りで記事が載っていた。おふたりとも、あら本当だ! と場が一気に盛り上がり、ふと気づけばご夫婦のお母さんや小学生の娘さんも出てきて、さらに会話が弾み時間はあっという間に過ぎた。
初めて入ったお店で、ここまで気持ちのよい時間を過ごせるとは思わなかった。帰り際、とても楽しかったので、持っていたカメラでご夫婦とお母さん3人の写真を撮らせてもらい、ホテルに戻った。*娘さんはすでに寝ていたので。
■あの時の画像を
あれから13年。にしんそばを食べ終わり、お客さんも少なくなり、新たな注文も入っていないようだ。今なら少し話もできるかな? 会計を担当している女将さんに話しかけてみた。
「実は、13年前に一度来ただけなんですけど、とてもよくしていただいて、懐かしく、また来れて良かったです」
むろん、すぐに「あぁ、あの時の!」なんてことにはなりません。女将さんはニッコリしてお礼を言ってくれたけれど、それ以上会話が続くとは思えなかった。
ただ、僕はどうしても、当時撮った画像を渡したいと思っていた。にしんそばのお金を払った後、ゴソゴソとバッグからタブレットPCを出し、その画像を見てもらうと…。
女将さんの表情がパッと変わった。そして、「今、主人を呼んできますね」と言うが早いか奥の厨房に入り、数秒後、二人で出て来て、画像をまじまじと見てくれた。
「これはレアものですよ、ねぇ?」
ふたりで頷き合っている。訳を聞くと、すでにお母さんは亡くなっていて、3人で写真を撮ったことなどほとんどなかったという。ならば、後で送りますと話を進め、東京に戻った後、女将さんのアドレスを聞いて数枚送ることができた。
そのやり取りのなかで、小学生だった娘さんがお婆ちゃんっ子で、とても懐かしがって喜んでくれたとも書かれていた。
自分の撮った何気ない写真が、こんなに喜んでもらえるなんて嬉しい限りだった。
思い切って訪ね、話をしてみて良かった。そして何気なく撮った1枚の写真を、喜んでもらえたのが何よりも幸せな気分だった。
実は同じように、再び訪れたいと思っている店が、山形県蔵王温泉にある。いつか、実現させたい。