もはや海外旅行など珍しくないご時世でしょうが、ひとりで外国に出た時の思い出は、何年経っても記憶に残っているものです。今回はちょっと趣向を変えて、海外ひとり旅の思い出を書いておこうと思います。*当時のカメラはデジタルなど普及していない時代で、フィルムは仕事用のポジフィルムを使っていたので、デジタル用にスキャンするのが大変で、雑な編集での紹介となります。ご容赦のほどを。
僕にとっての初めて海外ひとり旅はニュージーランドでした。
■なぜニュージーランドだったのか
日本から1万キロ近く離れた南半球の島国。オーストラリアの近くにあり、国土は日本よりも少し小さい。主な産業は牧畜。最初にニュージーランド行きを決めた時、この国に対する知識はほとんどなかった。なのになぜ行ったのか?
①それまで行ったことのある国が、サイパン、香港、ハワイと、まるで観光客の黄金コースのようなところだったから。いずれも仕事(旅行雑誌の取材)で行ったのだから仕方ないけれど、もうちょっと違う国に行ってみたいと思っていた。
②幼稚園の頃、毎日一緒に通園していた幼馴染(女の子)がこの国に住んでいた。僕が引っ越して逢うことはなくなったが、大人になってもずっと手紙でのやりとりは続けていて、ぜひ遊びに来いと誘われていた。
③丁度この頃、実家を離れひとり暮らしを始めたため、記念に何かしてみようという気になっていた。
3つの理由が、どこかにのんびりひとり旅をしてみたかった僕の背中を押した
■さぁ準備だ
前述のようにこれまでの海外旅行は全て仕事であり、数名の旅慣れたスタッフと共に現地入りしていた。飛行機もホテルも仕事先が手配してくれた。もちろん今回は全てひとりでやらなければならない。
昔から予定を立てるのだけは好き(ちゃんと実行した試しがないけど)なので、1か月くらい前からあれこれ動き出した。まずはガイドブックの購入。最初に買ったのは昭文社の小さな本だった。ただ、内容がやけに古く、すでに運航していない航空会社の名前が堂々と出ていたりして情報が怪しかった。(頼むよ、昭文社さん)
そのうち物足りなくなって、当時「ひとり旅のバイブル」だった地球の歩き方(ダイヤモンドビック社)を買い、予定をさらに詰めた。
予算の大部分を占めるのは航空運賃だった。安ければ安いに越したことはない。といっても、アジア系の経由便はあまりに遠回りすぎた。へたすると20時間以上かかってしまう。すると直行便になるわけで、選択肢はニュージーランド航空(NZ)と日本航空(JL)の2社のみ。昔も今も、北島のオークランドか南島のクライストチャーチが海外からの玄関口になっていた。
最終的な目的は幼馴染み(オークランド在住)に会うことだったけれど、まずはひとり旅を楽しもうと、自然がとくに素晴らしいという南島を巡ることにして、往路はクライストチャーチから入国することにした。
当時はインターネットなどないので、チケットは直接どこからの代理店に行き、交渉するしかない。幸い、友人の妹が勤めている小さな旅行代理店が近くにあり、値段を確認してもらうとニュージーランド航空直行便(成田~クライストチャーチ、オークランド~成田)が13万円(6月)だった。今なら「この時期にそれは高いでしょ!」というところだけど、素直に納得してチケットを手に入れた。
次は旅程に合わせ、ニュージーランド国内の手配。雑誌で調べると、道路は日本と同じ左側通行。渋滞もなく快適に走れるらしい。ならばレンタカーが一番ということで、大手のAVISでコンパクトカーを予約。
クライストチャーチ空港から2泊しながらドライブを楽しみ、最後は湖畔のリゾート地クイーンズタウンに3泊ほど。そしてクイーンズタウン空港でレンタカーを返却し、飛行機でクライストチャーチ経由オークランド。そこで幼馴染の家に宿泊させてもらうこととした。
ホテルは浜松町貿易センター内にあったニュージーランド政府観光局に行き、あれこれ資料をかき集めて検討しては思案にくれる毎日。
そして事前に手配したのは
①東京→クライストチャーチ、オークランド→東京の国際線航空券(ニュージーランド航空)
②クライストチャーチ空港で借り、クイーンズタウン空港で返すレンタカー5日分(AVISレンタカー)
③クイーンズタウン→オークランドの国内線航空券(アンセットニュージーランド航空)
④2泊目の宿(THCホテルグループのMt.cookシャレー(ロッジ))
⑤3~4泊目の宿(THCホテルグループのパークロイヤル(ホテル)
⑥5泊目以降は友人宅に泊
1991年6月11日出国、19日帰国の予定だった。
■出発
初めての海外ひとり旅。緊張してなかったといえばウソになる。それでもなんとかなるさという気持ちが勝っているので、成田空港に行く足取りも軽かった。ニュージーランド航空747-200を最初に見たときも、おぉ、カッコイイじゃん。などと思ったりもした
嬉しかったのは、6月ということもあってガラガラだったこと。当然、僕はエコノミー席だけど、1列(3-4-3)にひとりくらいしか乗っていない。11時間以上のフライトだから、このガラガラはありがたかった。寝るときなどは肘掛を跳ね上げれば横になれますからね。クルーも英語しか通じないけど、とても親切だった。揺れもなく快適なフライトなのであった。
クライストチャーチ国際空港に到着したのは朝6時台。日本を出たときは梅雨のうだるような暑さだったのに、現地は南半球なので冬に入ったばかり。気温は早朝ということで0度近い。なのに上着を持たずに飛行機に乗ったため、半袖のまま入国審査に向かい、かなり寒い思いをしたものだ。
■レンタカーで南へ
成田を出発した飛行機はオークランド行きだが、この頃はまず遠方のクライストチャーチに降りてから、オークランドに戻る形で飛んでいた。クライストチャーチで降りた乗客はとても少なく、入国審査は挨拶を交わしたくらいであっという間に終わってしまった。
拍子抜けしつつ、空港内の売店で簡単なロードマップを数冊購入しレンタカーを借りた。もちろん全て英語でやらねばならないが、お決まりの会話なので何とかなった。車はトヨタのスターレット、ギアはあえて5MTのマニュアル車を選んでいた。現地は冬なわけで、もし雪が積もるようなことがあったら、マニュアル車の方がエンジンブレーキも多用でき、運転しやすかったからだ。
早朝にクライストチャーチに着いたのだから市内観光に行くべきなのに、なぜか僕はそのまま国道(R1)を南へ。初めての道にしてはやけにスムーズにドライブを開始したのだった。
走り始めてまず思ったこと。とにかく気持ちいい。片側一車線の田舎道のようでも、制限速度は郊外なら100キロ。車はほとんど走ってないし、周囲は見渡す限りの牧草地帯ばかり。いやー、こんなとこ、あるんだねー。
最初の宿泊地として僕が選んでいたのはTimaruという中規模の港町。日本のニュージーランド政府観光局でもらった「Where to stay」という宿泊ガイドブックによると、なんとなくよさげな小さなホテルがあり、そこに泊まろうと最初から計画していた。
ホテルは国道沿いにあったのでアッサリ見つかった。10部屋くらいの規模だろうか。とても古めかしい石造り。1階に小さなレセプションとbar。少し旅慣れた今なら、きっと別のところも探しただろうが、この時はなぜか、このホテルに自分は泊まらなければイケナイ、と決め付けていた。
もちろん、予約などしていない。行き当たりバッタリだし、英語に自信などまったくない。それでもエエイ! と扉を開け、中にいた爺ちゃんに「Do you have a room?」とまずはお決まりの質問。ホテルの前には「Vacancy」と表示されているので空いているに決まっているのだが、一応、こう聞かないと話が進まない。
もちろん「sure」と帰ってきたので今度は「May I see the room?」と案内をしてもらい、最後は「OK…How much for a night?」と値段確認して何とかチェックインすることができた。
この会話は旅の会話集で暗記したもの。正直な話、これを話すだけでアップアップしていて、せっかく部屋を見せてもらっていたはずなのに、「あれ、こんな部屋だったっけ」というほど記憶が曖昧。まぁ広いことは広いのだけど、レトロすぎてちょっと不気味な感じだった。季節が冬ということも部屋の寒々しさを増幅させていたかもしれない。
問題は夕食だった。実は昼を抜いていたから結構お腹は空いていた。なのに、初めてのひとり旅で英語にも自信がない状態。ホテルの周囲を歩き回ってみても今ひとつレストランらしきものも見つからず、1時間ウロついただけで帰ってきてしまった。で、結局は何も食べずにベッドに横になっているうちに疲れで寝てしまい、初日の夜は空腹のまま過ぎていったのであった。
■テカポからマウントクックへ
2日目はマウントクックを目指す。これまで走ってきたR1少し戻り、内陸を進むR8へと入る。こちらも道もR1と同様の片側1車線。対向車はさらに少なくなり、ひたすら100km/hで走るのみ。
ニュージーランドの道はほとんどが片側1車線。点在する町に入ると2車線になることもあるが、信号は見当たらず、交差点があってもロータリーになっているだけ。シンプルだ。
ただ、急に道路を塞ぐように現れる羊の大群には驚いた。こういう場面に出くわすとは知識として知っていたものの、目の前に迫ってくるとかなり焦った。まぁ、そのまま停まっていれば、何事もなく通り過ぎてくれるのですけどね。
R8を100kmほど走ると右手にテカポ湖が見えてくる。湖畔には遠くのサザンアルプスの山並みを借景に石造りの小さな教会。ここには広めのパーキングがあり、レストランや売店もある。ランチを楽しみ、湖畔を散歩する人たちがいた。
さらにR8を50kmほど行くと眩いばかりのエメラルドブルーの水をたたえるプカキ湖が現れ、しばらく走ればマウントクックへ通じるR83の分岐点。本来は右だが、今宵の宿は山小屋風のところで食費を節約したかったので、そのままR8を先に進み、Twizelのショッピングセンターで食料を調達。たしか、ランプ肉のステーキとパンを購入したはずだ。
あとはR83をひたすらプカキ湖沿いに走るだけ。素晴らしい景色が続くものの、人の気配がまるでない。道の両側は常に柵があり、向こうにはのんびり草を食む羊ばかり。そのうち湖も見えなくなってくると、正面にはサザンアルプスがどんどん迫ってくる。
地図によると道の終点がマウントクック村のはずなのだが、人はおろか、対向車も村も見当たらない。道は一本道だから間違うはずないし…と、思いつつも不安は増すばかり。マウントクック村に着いたのは午後3時くらい。レセプションのあるホテル(THCハーミテージ)を見たときは、心底ホッとした。
予約していたシャレーはホテルから少し離れたところ。三角屋根の山小屋風で、質素な造りながらベニヤとカーテンで仕切った3畳ほどのベッドルームが3つ。キッチンにトイレ、シャワーを完備。だが、季節は冬ということもあり、シャワーだけで体が温まることはない。部屋中の暖房を全てつけながら暖をとった。
翌日は村をしばし散策。そして地図に出ていたTasman Glacier(氷河)の文字を頼りに砂利道を延々とドライブ。最後は遊歩道をエッチラオッチラと歩き、ブルーレイクやタスマン氷河を見に行った。といっても氷河の先端は溶け土と混ざり合っていて、展望台がなければ絶対に氷河とも思えない景色。それよりも、ここまで走ってきた道の印象の方が凄かった気がする。
■湖畔のリゾート、クイーンズタウン
マウントクックの次はクーンズタウンへ。移動距離は260kmほど。渋滞などあるはずもないので気軽な距離ではある。が、実は冬場ということで、途中の峠道(Lindes Pass)の路面が少し凍結していた。日陰を走るときはとてもつなく気を使った。当然、スピードはぐっと落として安全運転をする。
ところが、そんな僕の車を後ろからきた車が一気にブチ抜いて行った。うわっ、危ないぞ! と思ったその瞬間、案の定その車は凍結した路面に翻弄され、お尻を何度か振ったかと思うと、路肩にぶつかり、脇の側溝に片輪を落として停まった。まさに自業自得の自損事故。とはいえ、知らん振りして通り過ぎるわけにも行かず、車を止めて運転手の無事を確認しに行くと、都合の良いことに偶然対向車線を走ってきた車も停まり、中からおじさんが同じように駆け寄ってきた。
車の中にいたのは20代前半とおぼしき男女4名。幸いなことに誰もケガはしていないらしい。車もヘコんだだけ。なので側溝から車を持ち上げるのを手伝ってあげたが、若者たちは僕に何の挨拶もなし。すると件のおじさんは若者を一喝し、お説教を始めた。最後は僕に「俺が怒っておいたから許してやってくれよ」とばかりに肩を叩き、去っていった。大人の威厳ってやつだろうか、格好いいおっちゃんであった。
3日目の宿泊場所はクーンズタウン。ここも事前にホテルを予約していた。湖畔に建つTHCパークロイヤル。モーテルなどに比べ狭くて高かったけど、それなりに景色も良かった。翌日からは昼からワインを飲んでまったりと湖を眺めていたり、バンジージャンプを見に行ったり、リゾート地ならではの楽しみを満喫することができた。
そうそう、ここでひとつの試練があった。実はこの時代、国際線はリコンファームという手続きが必要だった。帰りの飛行機のチケットを持っていても72時間前までにその便に乗ることの意思表示をしなければ、予約をキャンセルされても文句が言えないという制度。当然、それなりの英語力が要求される手続きだ。
英語の苦手な僕はそれをクイーンズタウン空港のニュージーランド航空カウンターでやろうとした。対面なら少しは話も通じるだろうとの目論見だった。しかし、いつも人のいない時間にばかり行ってしまい受け付けてもらえず、最後は仕方なく電話でやるハメに。
英語もまともに話せないのに無茶な話だ。それでも必至に辞書を引き、ガイドブックに書いてある用語集を駆使してチャレンジ。もちろん、相手がガイドブックと同じように答えてくれなければお手上げ。結果は何とかOKが取れた。電話を切ったときは思い切り汗ばんでいた。
■空路オークランドへ
クイーンズタウンからオークランドは国内線でひとっ飛び。エアラインはニュージーランド航空でなく、アンセットニュージーランド航空をリクエストしていた。理由は飛行機が格好良かったから。他社がボーイング727を使っていたのに対し、こちらはBAe146という日本では見たことのない機体を使っていた。それは胴体の上に翼があり、小さいながらもジャンボと同様の4発ジェットの仕様。とても格好良かったし、内部もとても快適。機内食も充実していて美味しかった。
さて、オークランドではひとつの出会いが待っていた。そう、幼馴染と25年ぶりの再開である。写真をやり取りしていたのでお互いを見つけるのにそう時間はかからなかったが、空港で幼稚園の時と同じく●●●ちゃーん! と大声で叫ばれた時はちょっと恥ずかしかった。
あとはオークランド郊外サンドリンガムの自宅に案内され、空き部屋に居候。近隣のスーパーに行ったり、近くの公園を散歩したり、マウントイーデンに夜景を見に行ったり、なかなか楽しい生活を堪能した。
帰りの飛行機はオークランド発の成田行き。こちらも行きと同様、ガラガラの状態で、またもや1列を独占状態でエコノミーライフを堪能。初めての外国ひとり旅はよい思い出とともに静かに幕を閉じたのであった。
そして、この後の僕はすっかりニュージーランドファンになったのだった。